カレールウの表示を見てみよう ― 牛脂の風味とトランス脂肪酸の話
ふと、カレールウの表示を見ると…
スーパーでカレールウを手に取り、原材料表示を見てみると、牛脂を主体とするものもあれば、パーム油を主体とするものもあります(図1)。

図1 スーパーで見つけたカレールウの原材料名
(原材料名は使用量の多いものから表記されます。)
カレーの歴史を紐解いてみると、もともとカレーライスは、カレー粉を使って作るのが主流でした。
しかし、1930年頃に溶かすだけで味ととろみがつく固形カレールウが商品化されたことで、家庭料理としてのカレーライスの普及に繋がったといわれています。
現在では、皆さまご存じのように板チョコのような割りやすい形状の固形ルウが一般的です。これは、室温で固体である油脂(牛脂やパーム油など)を利用してルウを固めているためです。
一般に、パーム油は牛脂よりも安価です。一方、牛脂は食肉生産量に依存するうえ、口蹄疫などの家畜疾病の影響によって価格が変動することもあります。そのため、コスト面だけを考えれば、パーム油を主体としたルウには大きなメリットがあります。
それにもかかわらず、なぜ牛脂を使用する製品が存在するのでしょうか。
牛脂は「おいしさの材料」
牛脂には植物油にはない独特の風味やコクがあります。
カレーのおいしさはスパイスだけで決まるわけではありません。油脂も香りや味わいに大きく影響するため、牛脂を配合することでより濃厚な味わいを作ることができます。牛脂にはさまざまな香気成分が含まれており、その中には和牛特有の甘い香りに関与するラクトン類も存在します【参考文献1】。
こうした成分が、植物油だけでは再現しにくい風味を生み出しています。
ところが…
牛脂には天然由来のトランス脂肪酸が0.1〜3%程度含まれています。トランス脂肪酸とは、トランス型の二重結合をもつ脂肪酸の総称です(図2)。

図2 トランス脂肪酸の構造
(二重結合(C=C)を挟んで水素原子(H)が同じ側にあるものをシス型、反対側にあるものをトランス型と呼びます。)
一般に、トランス脂肪酸の過剰摂取はLDLコレステロール(悪玉コレステロール)を増加させ、HDLコレステロール(善玉コレステロール)を低下させることで、動脈硬化や心血管疾患のリスクを高めることが知られています。【参考文献2】
ただし、この健康影響が主に問題視されているのは、かつてマーガリンやショートニングの製造に用いられた部分水素添加油に含まれるトランス脂肪酸(※)です。特にエライジン酸と呼ばれる脂肪酸が代表的です(図3)。
一方、牛脂や乳脂に含まれるトランス脂肪酸は、反芻動物の胃内で微生物によって生成されたものです。
その主成分はトランスバクセン酸であり、部分水素添加油に多く含まれるエライジン酸とは異なります(図3)。

図3 エライジン酸とトランスバクセン酸の構造の違い
(二重結合(赤い丸で囲んだ箇所)の位置が違うことがわかります。)
また、牛脂や乳脂由来のトランス脂肪酸については、部分水素添加油のトランス脂肪酸と同様の健康影響を示さない可能性も報告されています。【参考文献2】
このような背景から、デンマークやスイスの規制では反芻動物由来の天然トランス脂肪酸は規制対象から除外されています。一方で、日本の食品表示で採用されているCODEXの定義では、その由来に関係なくトランス脂肪酸として扱われます。
メーカーのジレンマ
この違いは、消費者だけでなく食品メーカーにとっても重要な問題です。
先述のとおり、日本における食品表示や成分分析の観点では、由来に関係なく「トランス脂肪酸」として扱われます。
そのため、牛脂を使えば風味やコクは向上する一方で、表示上のトランス脂肪酸量は増えてしまいます。
逆に、パーム油主体にすればトランス脂肪酸量は低くできますが、牛脂特有の風味やコクは得られません。
つまり、メーカーは「おいしさ」と「表示上のトランス脂肪酸低減」の間でバランスを取らなければならないのです。
表示と実態のギャップ
興味深いことに、牛脂入りのカレールウを避けたとしても、牛肉やバター、チーズなどを食べれば、同じ天然のトランス脂肪酸を摂取することになります。
では、これらの天然のトランス脂肪酸は、部分水素添加油のトランス脂肪酸と同じように考えてよいのでしょうか?
これは、トランス脂肪酸という言葉だけが独り歩きし、その由来や種類の違いが十分に伝わっていないことが、一因なのかもしれません。
食品化学の視点から見ると、「トランス脂肪酸が含まれているか」だけでなく、「どのような由来のトランス脂肪酸なのか」を理解することも重要です。
食品表示は消費者にとって重要な情報ですが、表示される数値や用語だけでは食品の特徴を十分に表現できない場合もあります。
カレールウの原材料表示を眺めてみると、「おいしさ」と「健康」、そして「表示制度」の間でメーカーが試行錯誤している様子が見えてきます。
普段何気なく手に取るカレールウにも、実は食品化学の奥深い世界が隠されています。
※1989年の調査では家庭用マーガリン中のトランス脂肪酸含有率は最大19.9%でしたが、製造技術の改良により2022年の調査では最大1.3%まで低減されています。現在の家庭用マーガリンのトランス脂肪酸含有量は大幅に低減されており、かつて問題となった水準ではありません。【参考文献3】
吉永

